安倍晋三元総理が亡くなりました。
2012年、弁護士になって憲法にコミットしてからずっと背後の「論敵」として私の中で(勝手に)存在し続けた政治家だった。
特定秘密保護法、安保法制、上皇陛下のご譲位、共謀罪、そして、「自衛隊明記」改憲…
しかしそれは言葉、論理、そして法による闘争だった。
言葉、論理、法を信じてるからこそ、安倍さんの繰り出す様々な「法」にまつわる危機的・破壊的ふるまいと、民主主義や立憲主義の無理解への防衛線に頭をめぐらせ、言葉、論理、そして法にこだわり続けようという自分の姿勢は安倍的なるものに刺激されていたことは間違いない。
憲法とか意味あんのか?法の支配とか自由と書いてあるだけじゃん!などなど、法律家でいるからこそうちひしがれた。
そういう人間があっけなく銃殺された。あっけないというか、何かがむなしいというか、何と戦ってきたんだろうという不思議な気持ちになった。喪失感でもない。不思議な気持ちだ。それは、1日たったらなくなるくらいのものだった。
今回の件は「政治テロ」だと思えない。もちろん、考えが違う人間撃ち殺しちゃだめよというのは一般論としてあるが、非常に閉じこもった世界で何かに捉われた人間の銃口がむいた先が安倍晋三だった。ある意味、運命というかめぐりあわせなんだと思った。そういう意味では安倍晋三が安倍晋三だったから撃たれたんだろうと思うし、数奇な運命にある政治家でもあるなと、少しだけ思った。
と、同時に、普段から「本当に民主主義に命かけてるか?」と疑問しかない、立憲民主主義を政治・選挙ビジネスの生態系の範囲内だけで「記号」として口にしている人々が「民主主義への挑戦」「テロには屈しない」とか言っているのにも非常に違和感と白けしかなかった。
いや、普段からやれよ、と思った。
与野党ともに目一杯普段から民主主義や自由のために生きていたとは到底思えない。悪いけど。
コロナ、ウクライナ、すべてにおけるあなたたちの言動を私はめちゃめちゃ静かに冷めた目で見てきましたからね、という感じだ。
と、いうことで、明日は北海道ゴー宣、日帰りですが、心から楽しみにして伺います!
またレビューしますが、戦後すぐに存在した立憲主義を高める改憲提案が憲法学者たちから出ていた事実、そしていつから改憲vs護憲が生まれたのか、という物語を追った今週のクソすば『憲法改正、”今昔物語”~改憲は選挙の争点か』も、是非ご覧ください。
☟